初心忘るべからず

最近やたらと湘南・鎌倉方面に足が向いていますが、先日11/8の新月の日には能楽師の安田登さんの講座に参加してきました。

 

安田さんは能楽師の傍ら、論語や古事記など中国日本の古い思想の研究やAIの研究、加えて米国発祥のロルフィングというボディワークのプラクティショナーであるという、とても多才な方です。

 

これからAIが発展すると、これまでの「心の時代」は終わって、これからは「あわい」の時代になるのだとか。

 

あわいとは間、狭間みたいな感じ?

家で言うと縁側。

縁側は家の中でもあり外でもある。

どちらをもつなぐ存在。

 

これまではAかBかだったけど、これからはAとBとのあわいが大切になってくる、と。

 

日本人は本来そういう感性の中で生きて来た。

世界中の文化は日本に吸い寄せられて、まあるくなって再び出ていく。

 

う~ん、あまり正確に表現できてません(>_<)

 

お話の中で印象に残ったのは、世阿弥が残した「初心忘るべからず」という言葉。

 

普通この言葉の意味は、何事においても始めた頃の謙虚で真剣な気持ちを持ち続けていかねばならないということだと思いますが、本来、「初」という字は「衣」編に「刀」で出来ていて、新しい反物に初めてハサミ(刀)を入れることなのだそうです。

 

絹でできた高価な反物にハサミを入れる瞬間というのは緊張しますよね。

でも、どんな着物もハサミを入れなければ出来上がらない。

 

そのように、自分が今持っている物を断ち切って新しい自分になっていくことが本来の意味なんだそうです。

 

持ち物が増えれば増えるほど、それらが高価なもの、希少なものなほど、断ち切るのは難しくなりますね。

 

でも、一瞬一瞬過去を手放し、今ここに生ききる。

 

なんだかカッコいい。

 

カッコいいけど、怖い。

 

やっぱりテーマはいつでも、「今ここ」なのですよね。