アルママーテル|東京江戸川区|総武線新小岩
はじめまして。
ここはあなたがあなたに帰る場所です。
あなたは誰ですか?
そう聞かれた時、あなたはなんと答えるでしょうか?
名前を言いますか?
そして職業をいいますか?
所属している会社名、役職名をいいますか?
どこに住んでいるか言いますか?
どんなところに所属していて、どんな資格を持っていて、家族は何人いて、年収はどのくらいあって、身長はどのくらいで・・・・etc.,
それは本当のあなたなのでしょうか?
通常、あなたがあなただと思っているものは外側の枠組みに過ぎません。
あなたがあなたの考えだと思っていることはほとんど全てが誰か外側の人からもらったものです。
幼少時に自分が生きやすい考え方を両親や周りの大人達からもらえていれば比較的生きやすい人生となるでしょう。
幼少期に両親からの適切な愛情をもらうことができなかった場合などは生きづらい人生となります。
比較的順調に生きてきた人生も道半ばにさしかかった頃に、何かおかしい、何か空しい、この先どう生きたらいいのか分からない、自分は何がしたいのかわからないと思うかもしれません。
外側から得た知識で、外側の人の期待に応える生き方をしていると、自分の内側・魂の声を聴いて、魂の願いに従って生きる術を見失ってしまうのです。
魂の願いと外側の人格(ペルソナ)の行動・思考との乖離が大きくなると、その歪みは病気となっって現れたり、突発的な事故・事件によってそれまでの人生の流れが強制終了させられてしまうことがあります。
そんなときは、一度立ち止まって、自分の内側を見つめてみましょう。
外側の人たちの期待でなく、魂の願いに氣づいて、魂の願いを叶える生き方を始めると、毎日が生き生きとして、人生が輝いてきます。
いわゆる自己実現ということです。
そして、そこからも更に探求を進めていくと、本当は自分などというものはなかったのだということに氣づくでしょう。
「自分」という主語が抜け落ちた時、本当の自分になっているのでしょう。
その時が一番充実していて、幸せな状態といえるのではないでしょうか。
それはスピリチュアルで言い方では様々な表現ができると思います。
本当の自分に出逢う(思い出す)には、もはや不要となった外側にくっつけたものを手放して、ゆるんで、今ここにくつろぐことです。
そのための手段としていくつかのメニューをご用意しています。
身体・心・魂、どこから入っても構いません。
健康とは、身体(body)と心(mind)と魂(spirit)の完璧な調和です。
そして、魂の表現が妨げられた結果が病気である、とAlma Materでは考えています。
肉体的なものも心理的なものも、病気の根源は善いもの、美しいもの、真なるものにあります。
それは聖なる可能性の歪められた反映でしかないのです。
Alma Materでは、皆様が本当の自分を思い出し、ご自分らしい人生を歩むためのお手伝いをさせて頂きたいと考えています。
「こころ」からのアプローチには心理カウンセリング&セラピーを、「からだ」からのアプローチにはクラニオセイクラル・セラピー(頭蓋仙骨療法) and/or バイオダイナミクス・オステオパシーを、そしてスピリチュアルな領域を視野に入れたヒプノセラピー(催眠療法)、フラワーエッセンス療法などを提供してお りますが、どこの入口から入っても行き つくところは同じ。
心身一如の自分自身。
ホリスティック(全体的)な存在としてのあるがままの自分。
そして、「自分」を超えて、人間関係や自然環境や宇宙全体の見えない取り計いを含めた「全体性とのつながりの中にある意識」です。
曹洞宗の開祖・道元の「正法眼蔵」という書の中にこんな言葉があります。
仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふというは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり。
萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
Alma(アルマ)とはスペイン語で「魂」「心」を意味し、ラテン語の「almus」(滋養)から来ています。
Mater(マーテル)はラテン語で「母」を意味します。
Alma Materを英語にすると"nurishing mother"(滋養を与える母)とも言えます。
Alma Mater(アルマ・マーテル)とは、古代ローマ人が豊穣の女神・大地母神ケレスや キュベレーに与えた呼び名で、慈しみ深い母、 養育の母、魂の母という意味があり、 精神の故郷・いつでも帰っていける場所という意味も表します。
(現代英語では大学や学校を「育ての母」とみなして「母校」という意味に転化しています。)
このささやかなセラピースペースが多くの人たちの生命力と叡智を育む場所となりますように。
また、いつでも帰ってこられる場所でありますように。
ハートから生きること。
自分の欲求や行動が愛に基づいているのか、恐れに基づいているのかに、できるだけ自覚的であること。
すべての愛の中心に私は立つ。
その中心から、魂である私は外へ向かう。
その中心から、奉仕する者である私は働く。
聖なる真我の愛が、私のハートに広がり、グループに広がり、世界中に流れますように。
(アリス・ベイリー「ハイラーキーの出現」上巻P406より)